大家族主義はヌルくない、むしろ厳しい

ゼロベース株式会社の石橋 秀仁さんに、私の記事従業員を家族と思う企業がある反面 - 戦略のみそ zentaku blogについて言及いただきました。私のおバカが際立ちまくりですが、はるかに考えさせられますので、ぜひご一読を。
http://zerobase.jp/blog/2009/02/post_48.html
http://zerobase.jp/blog/2009/02/post_49.html


ひとつだけ『「家族主義」などという甘ったれた言葉で誤魔化す人』とおっしゃられていたので、出光の「大家族主義」について、補足させていただきます。私は言葉で誤魔化して生きてきたのですが、出光は違うようで。

ちょっと長文なので、お時間ある時に。(最近、「続きを読む」がお気に入り♪)


出光佐三の眼の黒いうちの話で、今はわかりませんので、その点ご留意ください。


出光の考える「大家族主義」とは、会社全体を家族とみなし、社員は家族の一員と考えるというものです。いったん出光商会に入ったものは、子供が生まれた気持ちで接する。社内における全ての事柄は、親であり子であり兄弟であるという気持ちで解決していく。この気の置けない空気の中に浸っている間に、自然と落ち着きができ、一切を試みる必要がなくなり、仕事に全力を注ぐことになる。

大家族主義の下に一企業の全員が人間と人間の心のつながりで結ばれながら、親子兄弟のごとき気持ちで仕事をし、生活をしてゆくことは、最も望ましい人間の生きる姿であり、ここにこそ真の団結が生まれ、最大の力が発揮されると考えたそうです。

最大の力を発揮させようとするって、ヌルくない(笑)


出光佐三は大家族主義という経営理念のほかに、「人間尊重」という理念も掲げています。

人間尊重には事業の基礎となる「人」の尊重と、尊重される「人」づくりの2つの意味が含まれます。ひとつは「資本は人なり」という哲学。経営を支え、新しい価値を創造し、事業発展の原動力となるのは人です。事業経営をするのも人です。人間が金や学問や組織、制度など人以外のものの奴隷になってはならないと考えたそうです。その人間自体の存在を尊重し、人間の判断を尊重するという理念です。


それでも、人間尊重、大家族主義はぬるま湯的、馴れ合いの響きがあって、社内や仕事の雰囲気はさぞかしたるんでいるかと考えがちです。私もそう思っていました。しかし、出光の社員の効率的で猛烈な働きぶりは戦後のGHQや政府関係者も目を見張るほどであったといいます。これは社員一人一人が自律するようになっているからだと私は思っています。


さらに、社員全員を家族とみなすということは社員の立場の違いに起因する不公平感やアンバランスを防いで、公正性を保とうとするものと私は理解しました。全員が家族なのであれば次男は好きだけど長男は嫌いということが起き難い。肩書きや部門で人間に差をつけることがなく、モラールダウンや一部の人間が拗ねるということを防げる。この公正性は組織に一体感を感じさせ、仕事が効率的になる。家族であれば部署間の縦割り意識や足の引っ張りあいなど起こらないだろう。家族主義が社内のコミュニケーションを促進し、効率的にさせるのではないでしょうか。


会社側からああしろ、こうしろ、失敗した時には罰がまっていると言われなければ仕事が進まない組織のほうが健全でないと私は考えます。他律的な縛りがなくとも自律的に自分の仕事をきちんと果たす。意図的に他律を働かせないからこそ一人一人の自律が高まる。この自律によって権限委譲がすすみ、意思決定は早くなり、消費者本位を貫くことが可能になる。自律は一人一人を経営者とみなして仕事を配分することができるようになり、組織的にみても人材の育成スピードが早まることとなる。


といっても自律を働かせることを社員に任せきりにはしていません。出光の研修制度は厳しくて有名だったそうです。新入社員研修は今までの人生を徹底的にたたき直されると言います。人間を尊重するには尊重されるに足る人間を育てなければならない。自ら顧みて尊重される人間になれとして、会社を「人間修練の道場」とみたてて人づくりを行ったそうです。「根気」「熱意」「努力」によってつくりあげられる精神力を鍛え上げることを求めた。


まさに道場です。ぜんぜんヌルくない(笑)人間尊重が生む自律も、社員が自ら自律を利かせるための人づくりあってこそなのでしょう。


他律に頼る組織よりも自律的な組織づくりの振り子の突端という会社という気がします。しかし、負のインセンティブに頼るよりもこちらの方が私は好きです


他人や負のインセンティブに規律づけられるのと、自らを律するのと、どちらがヌルいですか?