従業員を家族と思う企業がある反面

「人間が一致団結して、真に働く姿を顕現し、国家・社会に示唆を与える」

私は心に残った言葉をメモして、そのメモをなくす癖があるのですが、上の言葉だけは決して忘れることはありません。出光興産の創業者、出光佐三が掲げた事業経営の目的です。

出光の経営の中身は語るべきエピソード満載なのですが、その中のひとつ、「全員馘首せず」の話は、いまの苦しい日本企業(の一部)にも考えて欲しいところです。

 1945(昭20)年8月15日、終戦により出光は全事業と在外資産を一挙に失ってしまいました。残ったものは、当時の金額で260万円の借金と、国内外約1千名の従業員だけでした。
 1945年末から朝鮮半島、中国大陸、さらに南方に派遣されていた社員約8百名が続々と復員。多くの企業が人員を整理する中、出光は「全員馘首せず」という方針を打ち出し、これを実行しました。
 終戦直後、石油の統制は存続したままで、出光は、若松、別府、名古屋等の数店が戦時中からの配給業務を細々と担当するのみでした。復員した社員の仕事はなく、旧海軍タンクの底油回収、ラジオ修理販売、印刷業、農業、醤油・食酢製造、水産業など、様々な事業に従事し、急場を凌ぐことになりました。
 これらの事業は、大体失敗に終わりましたが、ラジオ修理販売は、全国主要都市に約50店舗を開設。将来の石油販売の拠点網づくりの布石となりました。

会社情報 | 出光興産(出光昭和シェル)


出光では「社員は家族だ。家族を追い出せるわけがない」として、仕事がなく借金まみれなのに、復員してきた人を迎え入れ、本業でないことでも何でもやって苦境をしのぎます(いや、しのげたかどうか不明)。でも、この苦しさを乗り越えたときの社員の皆さんの団結や会社に恩返ししようという気持ちは察するに余りあります。全員が一致団結して今の出光をつくったんです。


反面、大手自動車メーカーが正社員を含む人員削減を決定しています。ゴーンショックといわれたときに大規模な人員削減や取引慣行を破壊して、技術の連続性や社員の士気などがズタズタになったであろうことは外部の私でもわかるのに、また繰り返そうとしています。

(2000年前後にゴーン改革で膿を吐き出したのは良手だと思います。でも技術蓄積への配慮が欠けていた点、膿を吐き出した後の手当てが欠けていた点は反省すべき点だと思います。しかも、その手は一度しか使えないであろうマジック。2度目はマイナス面の波及が大きすぎて、逆効果になると想像。)


派遣切りしかり、人員削減に手を染める前に、できることはあると思うのです。従業員は給料が下がろうとも、希望の職種ではなかろうとも、地に這う覚悟があることを経営者に理解してもらう必要があるという前提で、やれることはあるのではないでしょうか。ワークシェアリングもその一種でしょう。


あまりに短期的な視点の経営者をいさめる現場も必要なのではないでしょうか。