日立、ちゃんとしてください

あのー、本気でしっかりして欲しいんですが、この会社。日本を代表する企業のひとつである日立がこのていたらく。今回の社長交代は上手くいかないと思います。


「時計の針を戻す」などど。業績を悪化させてきたマネジメントを戻すなど、さらに業績を悪化させようとしているのでしょうか。


日立に必要なのは注力分野を絞り込んで資源を集中投下することです。たるみきった企業体をいかに筋肉質な企業に変えられるか、です。こんなに経営者が変っていては改革になどは取り組めないのではないかと思います。


古川社長が大きな手を打てていなかったのはその通りだと思いますが、ある程度は業績の底支えが出来ていたからだと思います。業績が悪化した今こそ大きな外科手術がおこなわれる目前だったのだと推測しています。


しかも、社内から経営責任を問う声って、誰のことですか?責任を問われなければならないのは日立全社員でしょう。この会社は身内を背中から撃つ会社ですか。ほんと、前向きに進んでくださいよ。頼みますよ。


憤りが大きすぎるので、日経の記事を全文引用してやる〜。

日立トップ事実上引責、業績悪化で「続投」撤回、長期低迷、財務も弱体化。
2009/03/17, 日本経済新聞 朝刊

川村新体制 再建へ待ったなし
 日立製作所が十六日発表したトップ交代は庄山悦彦会長(73)と古川一夫社長(62)が事実上引責辞任し、グループ会社に転じていた元副社長の川村隆氏(69)を本体の会長兼社長に呼び戻す異例の人事となる。古川氏らは二月初めにいったん「続投」を決めていたが、業績悪化で撤回を余儀なくされた。川村氏は日立本体を重電などの安定事業に集中させることで立て直しを狙うが、長期の業績低迷で、かつての強みだった財務基盤は弱体化。経営再建は文字通り「後のない」戦いとなる。
 「2009年度の業績もかなり厳しく、人心一新で再建を目指したい」。16日夕の記者会見で古川社長は突然の交代の理由をこう説明した。

3年で社長退任
 同社は2月3日に4月1日からの経営体制をすでに発表ずみだった。執行役のトップとして古川社長が続投し、四4人の副社長が支える体制。この時点で「(新体制への移行は)まったく考えていなかった」(古川社長)が、わずか一カ月半弱で翻意を余儀なくされ、自らも歴代最短となる就任3年で社長を退くことになった。
 背中を押したのは急速な経営環境の悪化だ。09年度予算を策定する二月末以降になって新年度も業績が極めて厳しいことが判明、「社内から経営責任を追及する声が高まった」(日立関係者)という。「庄山会長と相談し、人心一新が必要と判断した」と古川社長は説明する。
 庄山氏が社長の時代に日立本体の副社長を務め、現在はグループ上場会社の日立プラントテクノロジー日立マクセルの会長を務める川村氏は古川現社長より7歳上。さらにかつての庄山社長体制を同じく役員として支え、現在はグループ会社に転じている八丁地隆氏(62)と三好崇司氏(61)も4月1日付で日立本体の副社長に戻す。

時計の針を戻す
 「若返りの時代にベテランで臨み、昔の強みを戻す」。庄山会長は今回の人事をこう説明した。それは過去10年が日立にとっての「失われた時代」だったことを実質的に認め、時計の針を元に戻す動きともいえる。
 1999年に社長に就任した庄山氏は2003年、2500億円を投じて米IBMからハードディスク駆動装置(HDD)事業を買収。05年には松下電器産業(現パナソニック)、東芝と共同で液晶パネルの製造会社「IPSアルファテクノロジ」を設立した。これらの事業がその後、日立の業績の足を引っ張り、07年度までの赤字の大きな原因となった。
 06年に社長になった古川氏は赤字事業の構造改革を進めたものの経営資源を振り向けた自動車部品事業が未曽有の不況で失速。「今期は単体ベースで2800億円の売上高ながら、数百億円規模の営業赤字となる見通し」(幹部)という。
 庄山氏が社長になって以降、09年3月期までの十年間の連結最終損益を合算すると1兆円を超す赤字。その結果、10年前に30%近くあった自己資本比率は08年12月末に17.4%に下がり、かつての強みだった財務基盤は大幅に弱まった。「物静かで目立つタイプではない」(日立OB)と評され、経営手腕も未知数の川村氏に残された時間は多くない。