当たり前がなぜ難しいのか

2008年11月に当たり前こそ難しい - 戦略のみそ zentaku blogと書きましたが、個人的にはその前から「当たり前」について考えていました。


私が当たり前こそ難しいと感じたのは2007年3月、多くの企業を分析して一定の成功要因と失敗要因を導き出したところ、「失敗の原因を探る」とか「勝ちたいなら投資しろ」とか「需要はあるのか?」とか「顧客が欲しいものを知っているか」など、本当に当たり前のことしか出てこなかったのです。でも、この当たり前ができない。


影でこの分析を目にした父親から、実家に帰った時に『「あたりまえ」の研究 』という本を手渡されました。いままで2年近く放っておいたのですが、当たり前のことができていない自分に苛み、読んでみました。


当たり前であったり当たり前でない事例がたくさん挙げられているのですが、エッセンスは次のようなものだと私は理解しました。


・自分の「当たり前」は他者の「当たり前」とは異なる
・「当たり前」と思っているが故に説明し難い
・外界で起こっている出来事を「自分なりの当たり前」で解釈してしまいがち
・「自分なりの当たり前」を壊すのは大変
「当たり前」のことに案外気づかない


私はこれら5点を明確に認識できたことが収穫でしたが、筆者は「当たり前」を共有するには、相手に説明して説得して、納得してもらう必要があると言っています。そのために説得力が必要であると。


「説得力」を身につけようとは私は今のところ思えていませんが、筆者は「当たり前」を「無意識の前提」とも言い換えており、この「無意識の前提」にとらわれることの無いように注意することだけでも意味があると、言い聞かせております。