過保護な社会
ユーザーのために良かれと思っていることが、その場では効果を発揮するが、長期的にはユーザーの成長を阻害することがある。
例えば、老人がいる家庭や施設では「バリアフリー」であることが求められることがある。しかし、本当に老人の体の機能のことを考えれば、多少の段差があった方が乗り越える努力をしようとして筋肉が衰えにくかったりする。
同様に、幼稚園では危険だからといって段差を取り除こうとするが、多少上り下りしないと健康な体に成長しない。
棚を幼稚園児に合わせて低く設置したりなどするが、これも思考の成長を阻害する。大人と同じ高さの棚を用意して、「そこに置くためにはどうしたら良いか」を考えさせた方が良い。台を持ってきて登ぼるも良し、肩車するも良し。自分で考えさせる余地をつくってやる。
ユーザーのことを思って思って対応してあげることが、長期的に、本質的に良いこととは限らないのだ。
先日こんなことがあった。その会社は従業員が働く環境にすごく気を遣っていて、ものすごくきれいで、働きやすいと言われる環境を構築していた。その素晴らしいオフィス環境で働いていた人が海外赴任である国に行ったら、劣悪な環境に適応できずにすぐに帰国を余儀なくされたそうだ。温室栽培の人には風が冷たすぎたようだ。その国ではかなり高等な環境だったにもかかわらず。
従業員のために良かれと思ってやっていて、その場では生産性は上がったかもしれませんが、従業員の精神を鍛えることはできていなかったんですよね。
何か問題が起きたら製品の製造を止めるとか、振り込め詐欺がすごいとか、ちまたでよく言われてますが、これもユーザーや消費者が賢くなって、社会のことを理解しているならば防げることじゃないですか。みんながユーザーをチヤホヤして甘やかしてきたから、変な現象が起こる。
もちろん、なぜこういう形になっているか、その意図を徹底的に説明しないといけないが、過保護になるより良い。
ユーザーを過保護にする商品やサービスでなく、本質的にユーザーのためになる商品やサービスをつくるべき、それを通してユーザーを教育すべきだ、と思うのです。
書き終わった後に「賢くなれないユーザーが一定数いる」ということを思い直した。その人たち対応は考えてなかった。だれか教えてください。