安さこそが善なのか?ヤマダ電機にみるダメ消費者

ヤマダ電機の山田昇会長が昨日のカンブリア宮殿に出てましたね。マスコミ大嫌いどころか敵対関係にある人を出演させるということで、いつも以上の提灯番組でした。といっても初めて見た番組ですが(笑)ヤマダ電機については先週エントリーして、「崩壊が近いんじゃね?」と指摘したところなので、興味津々で画面に食いついたのです。


努力と苦労の成り立ちは誰しもそういうことはあるのでシカトして、山田会長に気付かされたこと1つと見直したところを1つ挙げておきます。


山田会長は激しい競争のなかで「小売店はどこも扱う商品が同じ。価格のみが大きな差別化要因になる」と悟ったという。ゆえに低価格を追求し続けている。私はこの発言でヤマダ電機が嫌いな理由を明確に認識し、そうさせる原因は私を含めた消費者にあることに気付いた。

ヤマダは「消費者は安くしとけば買う」と我々をナメてるんですよ。製品性もメーカーの思いも、接客も補助的サービスも店やメーカーのブランドなんかよりも、価格さえ下げてりゃ消費者は買うんだと思われてるんですよ。製品が古かろうが、なにをしようが価格優先で売ってくるんです。その態度に私は不快感をもっていたんだと気付いたのです。

でも!!!ヤマダにこんな売り方をさせているのは消費者ですよ。こんな機能や品質の商品ではいくら安くてもダメだと消費者は厳しい視線で商品を判断しなければいけないのに、価格だけに反応する。もっとメーカーの姿勢から技術からなにからひっくるめてモノを買うべきなのに、モノの価値の正しい評価をしていないんです。


この価格低下=叩き売りは関わるすべての人を疲弊させる。メーカーはコスト低減圧力でホントウに品質がいいもの、消費者の1歩先をいく商品がつくりにくくなる。小売店に商品を届ける販社も物流も何もかも叩かれる。店の内装も販売員にもコストがかけられず、顧客の満足いく接客ができにくくなるかもしれない。すべてが疲弊し、まともな商品がまともに評価されなければ、真に価値ある製品が生まれなくなる。

これを解決するのは消費者が賢くなるしかない。政治の世界では国民の質が政治の質を左右するといわれる。国民の質以上に政治は良くならないのと同じで、消費者の質が上がらなければ小売りもメーカーも質が上がらない。これでは日本の企業の競争力は上がるはずがない。価格以外に厳しい眼を向ける消費者になるべきなのです。


しかし、「低価格がすべて」といいながら、山田会長は過去にはアフターサービスに戦略を振り向けたこともあるし、いまでも町の電器屋時代だった顧客との深いつながりを懐かしく感じ、修理の仕事もしたいという。
この本音の吐露で山田会長を見直してしまった。この人は本当は一人一人にきちんと製品を説明して、いいものを買ってもらって、壊れたら直してあげて、ありがとうと言われる、価格ではない商売をしたいと思っているのではないか。もともとビクターの技術者ということもあり、モノづくりに熱い想いを抱かぬはずはないし、その熱い思いがこもった製品を叩き売られて気持ちいいはずがないのもわかっているはずだ。山田会長は深い苦悩を抱えながら走らざるを得なくなっているのだろう。山田会長はほとんど笑顔を見せないし、表情には悲壮感さえ漂う。昨日のカンブリア宮殿でみせた憂鬱な表情の真意はここにあったのだと思う。「俺がホントウにやりたい商売はこんなのじゃない!」と叫びたいのではないか。

いま私たち消費者もメーカーもヤマダに試されている。ホントウにあなたたちは良い商品を買いますか?良い製品をつくれますか?と。

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