プロジェクトが失敗する時の3つのサイン
プロジェクトが頓挫するか、成功に持ち込むにはかなりの根性がいるぞという、兆候。
こんな兆しが少しでも表れたら早めに手を打ちましょうよという、三戒。
日本の企業システムに染み付く価値観
2012年6月15日の日経「迫真 テレビなぜ負けた4」では、シャープが亀山工場でパネルからテレビまで一貫生産する工場を建設する工場を造ったのに対し、サムソンは「これでシャープに勝てる」と言ったそうです。海外生産に乗り出し、安くつくって新興国の店頭に並べられたら勝てないと恐れたが、そうはならなかったと。
この一言に、日本メーカーとサムソンとの間にシェアの差がついている理由が込められているように思います。
思いつくのはふたつ。「グローバル」「技術」の認識の違いではないでしょうか。
【「グローバル市場」の認識の違い】
以前、転がり落ちるパイオニア - 戦略のみそ zentaku blogで書きました通り、装置産業の定石は大量生産による規模の経済の追求です。テレビ製造など、装置産業においては大規模に投資して他社を圧倒的に凌駕する生産体制を整え、生産コストを引き下げながら一気にシェアを取るのが常識です。大量に生産することでコストが下がり、品質も向上し、次の製品の売りとなる高付加価値化の種も発見できる。
サムソンはグローバルを基準として規模の経済を追求したのに対し、日本企業はまずは日本市場における規模の追求をした後に、グローバル市場を見るという2段階だったことで遅れをとったように見えます。規模の経済を働かせる事をゆっくりにして価格下落を遅らせる戦略だったとも言えます。
最初から世界をひとつの市場としてみるか、日本市場とは別に世界があるとみるか、この認識の差がシェアの差ではないかと考えています。
(経済世界一体化って、むずいわ - 戦略のみそ zentaku blogはずっと言われ続けてきたことですが、簡単ではないですね)
【技術認識の違い】
日本企業は、技術は自ら苦労して生み出す物であり、血と汗と涙がしみ込んだ尊いものと思っている節があります。苦労して開発した尊い技術を急速に低価格化させるなんてふざけるなと思っているのでは。それが大量生産による規模の経済を働かせるのを抑制しているように見えます。
対して、グローバル企業は、技術は必ずキャッチアップ出来るものであり、必要であれば外から調達してくれば良いという技術観があるのではないでしょうか。最低限の技術力があれば、まずは価格とシェアが大事であり、その後にコツコツと技術を向上させるという技術観。
グローバルマーケットの捉え方、技術観の2点も日本企業がシェアを失うメカニズムの一部ではないでしょうか。
日本のテレビは負けたように見せかけているだけ・・・と思いたい
2012年6月12日の日本経済新聞に「危機の電子立国 テレビなぜ負けた」という特集記事がありました。
工場集約のパナソニック、主力工場を合弁に切り替えるシャープ、国内生産から撤退する日立と東芝、テレビ事業8期連続赤字のソニー。「日本のテレビはなぜ敗れたのか」に迫るようです。
記事の意図はさておき、私は、「負けた」というより、「競争の軸が変わり、新天地であるコモディティの世界では激しい競争をしない戦略をとった」に過ぎないと考えています。
この競争の軸は、「テレビ間でのきれいに映す競争」から「複数ある情報表示ツール間での利便性の競争」に変わったと思います。
ヨドバシの取締役は、「きれいに映す競争に熱中して、消費者を楽しませることを忘れていた。」と言っていますが、「きれいに映す」ことが競争の軸であった環境では、メーカーは「いかにきれい映すか」で消費者を楽しませてきたと反論したいです。過去の日本メーカーの「いかにきれいに映すか」を差別化のポイントとする競争の軸は、決して間違っていなかったと思います。
競争の軸が変わる潮目は2005年のyoutubeの誕生、2006年のワンセグの誕生、2009年のバックライトLED化でしょうか。youtube、ワンセグにより、コンテンツはテレビでなくても良い、「きれいに映す」よりも利便性、という価値観が創造されました。その価値観が高まっていくなか、「きれいに映す」ための技術的な競争がLED化によって頭打ちとなりました。これ以上の品質の改良は消費者的には大きな差と映らなくなりました。
(そういう意味では2010年に手を打っていてほしかったです)
その3つの潮目から、テレビはケータイやスマホ、ipad、タブレットPCなどと利便性を競って勝たないといけなくなった。
同時に、テレビの補完産業であるコンテンツ産業の凋落が、テレビを「複数ある情報表示ツールのひとつ」にしてしまう拍車をかけました。テレビの前にじっくり座って見たいと思う番組はあるのか、「きれいに映す」意義のある番組があるのか。コンテンツに時間とお金を費やす意義を感じない価値観の発生がテレビの価値をさらにおとしめたのでは。
日本メーカーは環境変化による競争の軸の変化によってテレビ産業がコモディティ化し、利益率も落ちてきたので、「複数ある情報表示ツール間での利便性の競争」に多大の資源を割くのではなく、そこそこの利益が出ればいいやというくらいの資源配分にシフトしたまでの話なのではないでしょうか。
プロダクトライフサイクルが成熟期に突入したら、成長期に確立したブランドロイヤリティを活かして、獲得した顧客は離れにくいように、相手の顧客を奪うように戦略を組み立てるのが定石です。
「品質」の基盤で獲得した顧客を「利便性」で引き続き囲い込めれば良い。「利便性」はアイディア次第でいくらでも作ることができるうえに模倣もしやすいので、他メーカーが提案した「利便性」に追随していけば、大きな資源を投入しなくても利益が確保できると踏んだ。
今までのような市場を立ち上げるための多大な資源を投入してきた戦略から、費用対効果を配慮したコツコツと利益をあげられるような戦略にシフトしたとみれば、そんなに悲観的になることもないだろうと思うのですが。